NoAnswer’s blog

副業の稼ぐまでの経過報告と結果報告をのらりくらりと挙げていきます

父親ってのは。。。その1

はてなブログさんの今週のお題「お父さん」ということで父親像について書き連ねていきたいと思います。

 

理想のお父さん像はYouTube「okutsu family」のお父さん。

YouTubeチャンネルはこちら

https://www.youtube.com/channel/UCDp81Ld8M62ptABkMxc5Z2Q

 

とにかく優しいし頼りがいあるし、しっかりしてる感満載!

そのくせイケメン(笑)

思いやりとイクメンっぷり。。。自分が父親になるときは是非とも参考にしたいです。

 

そして自分の父親。。。

エピソードだけ聞くと、言葉は悪いですが「クズ」なんだと思います。

・自分の覚えてるだけで離婚歴3回

・スケコマシ度全開(笑)

・見栄っ張り

・嘘つき

・ある種酒乱

・騙されやすい、甘い言葉に釣られやすい

・お調子者                       etc

と数え上げればキリがない感じでした。

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けどそんな人を父親として、すごい思っていたこともありますし、感謝もしています。

今の自分のという人間がいるのも父親のおかげですし、ある種彼のおかげで持てた価値観もありますので。。。

 

 

 

そんな父親との思い出

父親は土建屋を営む会社社長

小さい時に両親を亡くし、小学校もそこそこに陸上自衛隊に入隊したそうです。

自衛隊で土木業の経験を積み、測量や土木の資格を取得し、除隊後独立。

某大手の会社から鉄道沿線整備や都市開発整備系の仕事をメインに請け負っていました。

ワンマン社長の典型的な人で自分の発言が一番的なことは多々ありました。

そんな父親の三男坊として自分が生まれました。

 

最初の父親の離婚は自分が3歳の時。父親と母親のW不倫がきっかけでした。

父親はスナックのホステス、母親は父親の会社の従業員。。。自分は母親の不倫現場に母に一緒に連れて行かされたこともありました。幼い自分にも母の嬌声は覚えています。

そんな中、離婚が成立し、兄二人は経済力のある父方へ、まだ幼い自分は母方へ引き取られました。

しかしそんなのも束の間、自分は施設へ預けられることに。。。(ちなみに母親は美容師資格持ちで結婚中にも自宅敷地内にて美容院を営んでいました。離婚後には知り合いの美容室へ)

そしてそれを知った父親が親権の変更手続きへ。結審が下り、父親に引き取られる日には母親からびんたを食らい

「ばかやろう!!」

と言われたのは苦い思い出。。。

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自分を引き取ってもらえただけでも、父親には感謝しています。
当時引き取られずに施設のままだったら、こんな風な生活は絶対にしていないだろうとは確信しています。

 

そんなうちの父親ですが、今だったら確実に問題視されていると思うエピソードがあります。

それは幼い自分をスナックのホステスさんに捧げてしまうこと(笑)

まだ小さい子供だけを家に残すこともできず、かといって社長として!?接待含めて飲み歩くこと(飲みニケーション)を抑えることはできない。

そんな父親が実行したことは、どこに行くにも子供を連れ歩きしました。

・幼稚園に通うまでは子供を作業現場に連れていき、現地事務所のプレハブに置き去り。たまに重機に一緒に乗り込み運転体験、セメントのコネコネ作業を手伝う、道具、部品で遊ぶ

・夜は飲み屋を一緒にGO!つまみをご飯代わりに、たまにカラオケで一緒に踊る

・朝起きたら知らない家。。。知らないお姉さんと一緒に寝ていることあり。そのまま夕方まで過ごしたり、変な幼児体験を経験、父親の仕事帰りに寄られて飲み屋や自宅へ

 

そんな破天荒っぷりを披露しつつ、見栄っ張りなのか羽振りの良さ!?も何故か発揮しました!?

・兄二人の時は行わなかった、自分の入園に合わせ、幼稚園にプール建設

※入札が行われたのか、父が役場に無理やり申請したのか、は知れず

・レクリエーション、園の行事の際は園児全員にお菓子の差し入れ

・園の砂場の砂の入替え

※入札が行われたのか、父が役場に無理やり申請したのか、は知れず

などをしてくれました。

とは言え、ネガティブな面もあり、仕事の関係で自分を放置してしまうことも多かったですけどね。朝は親父の出勤時に合わせるので7時前に幼稚園に着き、先生が来るまで校庭で一人遊び。もしくは飼い犬と一緒に登園し、先生が来るまで犬と戯れ、帰りはその犬が家から迎えに来てくれて、犬が保護者代わりになっていました。

入園式も卒園式も1人だったので父親のせめてもの償いだったのかもしれません。

 

書いているとなんか変な気分になってしまいそうです(笑)

申し訳ありませんが、2回に分けます。