NoAnswer’s blog

副業の稼ぐまでの経過報告と結果報告をのらりくらりと挙げていきます

父親ってのは。。。その2

昨日までだったんですね(笑)

 

昨日の続きになります。

まだ読んでない方は申し訳ないですが

 

noanswer.hatenablog.com

 

というわけで続きです。

 

ホステスさんにお持ち帰り!?される日々は小学校に上がるまで続きました。

 

結果的に父親プロデュース「独り立ちへの道」はここから始まりました。

まずはじめに、

「母親との面会」

一応母親と自分の双方の意志で、会いたい、となった時に面会する、ことにはなっていたのですが、母親からの要請は一切なく、自分としても会いたいなー、という気持ちはあまりありませんでした。

というのも自分の場合は「母親に捨てられた」という思いが強く、母親からも「自分が母親を捨てた、裏切った」というお互いに被害者意識があったからだと思います。

そんな最中に父親は自分に「母親の家に泊まりに行け」、「母方の実家に泊まりに行け」指令が出ました。

父親も幼い時に両親を亡くしたせいか、親のいない生活の寂しさ、親孝行の出来ないことの無念、虚しさ、など自分の幼少時を重ねたんだと思います。

これはまあ結果的には功は奏さなく、効果はありませんでしたけど。。。

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次に

「忘れるな」の言い聞かせ

父親は自分に対してはなぜか色々「忘れるな」を言い聞かせてました。

もちろん学校に行くときの忘れ物の多さのせいもあるのですが、これは小学校に入る前から言われていました。

だから色々忘れないように反芻することを覚えました。

そして得たのが今の能力なんですけど。。。前回と今回書かせていただいてるエピソードですが、全て自分の記憶中から拾っています。

もう30歳を超えて数年になるわけですが、一番古い記憶だと。。。

「ハイハイで2階によじ登っていったが、降りれなくなり、泣き出しておもらしした、当時使っていた紙おむつはパンパース」

です。

ただこの「忘れるな」には何かの意味があるんだと思います。というのも自分の赤ん坊の時の写真だけ0枚だから。兄2人の子供のころの写真はあるんです。赤ん坊の時から成長の記録まで。しかし自分の写真だけ無し。ただ自分が紙おむつしてた頃の記憶や、幼稚園前の記憶がある通り、この父親に育てられたことは間違いないはず!!

 

「ご飯当番制導入、という名の飯炊き係」

小学生になって1学期も終わりかけ、の時期までは親がいないときの食事は近くの食堂に頼んであって、好きなものを食べて家で寝る、が主流だったんですが、ご飯を自宅で作ろう、という運びになり、自分が飯炊き係になりました。正直コメを研いで炊飯ジャーのスイッチオンだけだったので、簡単なんですけどね。

そこからレトルトハンバーグやミートボール、カレーの王子様の温め

⇒カレールー(バーモントカレー甘口)を使ってカレーの調理

⇒卵チャーハン

⇒ホットプレートを使った料理(ホットケーキやお好み焼き、焼き肉)

に進化していきました。

 

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そして、「女癖の悪さ発動」

そもそもでこうなったのも少し理由があり、最初は家政婦さんを頼もう、となったのですが、父親さん。。。家政婦さんをいただいちゃいました(笑)

そこから恋人にもなり、果てはお母さんになるわけですが、超スピード婚。

そして結婚後「貯金を持ち逃げされ離婚」ということになりました。

その後もホステスと付き合い、ホステスの借金を代わりに返済して結婚に至るも、またも離婚。

子供3人に相談もなく、勝手に結婚離婚を繰り返すため、いい加減やめてくれ、というか、無関心になっていく自分。

兄貴たちは年が離れているせいか、なんとなくですが、ませた感じで眺めていた感じでした。自分は何が何だか分からず、「母ちゃん」と呼べばいいのか、「●●姉ちゃん」なのかの??の状態から、「ああ、もうどうでもいい」と無関心になっていきました。

 

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時が過ぎて

「父親の見栄や嘘に付き合うべきか、無視するべきか」

となりました。

酔ったときの父親は子供自慢から見栄や嘘をつくのがデフォルトになってきました。

「うちの○○はいつも学年一番」

「うちの○○はなんでもできる」

「うちの○○はすごい」

「うちの○○は。。。」

など、とにかく酔ったときに親戚や、近所に自慢しまくっていた。

まあ近所に子供同士同級生の家もいるんですけど、幸いほとんどが自分たちより成績が悪かったのが幸いだった!?のかもしれません。

 

この自慢の一番の被害者は長男だったと思う。実際は中学では学年で約300人中の100番以内で良くて50番以内な感じだったと思う。学習塾に通わずに家で碌に宿題もせず!?の成績なら良い方だったとは思います。5教科500点満点中の350‐400点台くらいかと。

けどスポーツは本当に万能でソフトテニスで全国大会に出るくらい、身長も180cm超えたので総合的にみると万能型ですね。だからこそ父親も自慢したくなったのかな!?とも思います。

 

真ん中次男さんは、デブちゃんで頭脳はどちらかというと平均レベル!?500点満点で300‐350点くらい。ただクラスで色々と人気者な方ではあったみたい。スポーツ成績もそれなりで長男とは別ジャンルのレスリングをしていました。県大会で入賞するくらい。

 

最後に自分は、幼少時から外食、飲み屋を渡り歩かされたせいでメタボ体質が進行、しかし土建屋を手伝うこともあり、筋肉はそれなりにある方。なので自分も格闘技の方に進む感じになり、次男さんと同じくレスリングへ。これが功を奏したのか、体重激減して筋肉質な身体に変貌。しかし成長期の無理な変化で身長は伸びず173cmでストップ。学力はあまり言いたくないですが、「忘れるな」の育て方を発揮しているせいで、500点満点中の400点越え。常に30番以内を家庭学習0でキープしていました。ただし家庭学習0=宿題やらない、なので先生からゲンコツを受けるのがデフォ。関心意欲態度がCになる為、テストは良いけど態度は悪い。関わりの薄いクラスメートの一部からは授業は真面目に受けてるから実はがり勉なはず!?と思われてました。スポーツの成績も次男以上に成功はしてます。

 

自分も父親からは自慢の対象になってましたが、上二人を見てきたせいか、別に父親の期待に応えるつもりはなくなってました。親の期待を受けて、それを実現させて自分がつぶれるのは嫌だ、という思いが強くて、思春期なせいもあって父親と衝突することは多々ありました。

 

 

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ぶつかることで好き勝手やって、誰にも迷惑かけずに、自立する。

結果として父にそう仕向けられたのか、自我のせいなのか、はあまり気にしてなくて、

父に感謝はしています。

 

そんな父は数年前に大動脈解離で他界。死に目には会えず、危篤を聞いて、数分後には死亡の知らせを聞いて、仕事の休業調整をして実家に戻り、父を見たのに涙も出ない。

。。

自分はそこまで情の薄い人間であったのか、親に無関心だったのか、ほっとしたのか。

葬式までの数日間、弔問に訪れる近所の方、毎日顔を出してくれる近所の方、昔話をしてくれる人、と色々は話を聞き、いつのまにか飼い始めてた犬の世話をし、

「○○(父親)という人は自分にとってどういう父親だったのか」

を考えていました。

 

葬式が終わって、数年経って、こうしてこのお題に参加した今も、この答えはでていません。冒頭では傍から見たら「クズ」という印象なんですけど、主観で考えるとやはり「感謝」の方が大きい存在。

けど最終的には結果が出てません。自分が父親になるときが来れば出るかもしれませんけど。

理想の父親像はあるので、どうなるんでしょう!?

 

以上が自分の父親でした。